※以下、チラシ(裏面)の文面です。

◆李さんの錦の種が 今年も実を結んだ

李福順(イ ボクスン)さんは、自分が通っていた夜間中学の教員に「錦の種が

ありますよ」と話した。その錦の種は李さんが戦後、朝鮮半島のふるさとに一時

もどったとき日本に持ち帰ったもので、日本の自宅で毎年植え続けられていたも

のだった。

李さんの錦は、李さんが亡くなってからも

夜間中学の畑で、生徒さんたちの手に

よって植え続けられている。


◆李さんが大切にした絵と畑

李さんは、鳥や自然の絵を500枚以上遺した。

李さんは、夜間中学には授業が始まる何時間も前から来て畑を耕し、自分が

育てた野菜や草花を絵に描いた。

李さんは、同じ絵を何枚も何枚も自分が納得するまで描いた。


◆李さんの錦が奈良から東京へ、そして福島へ

李さんの錦の種は、人づてにいろいろな人の手に渡った。

その中のひとつ、東京に住む踊由紀子(おどり ゆきこ)さんの手に渡り咲いた錦

の花が、踊さんの福島を描いた絵画「何度目かの被曝」に描きこまれた。

そして絵画「何度目かの被曝」は、福島県の教育会館に展示されることとなる。


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