〈新安保法制〉

 新安保法制は10個の法律の改正法と国際平和支援法です。
中心となる仕組みは、集団的自衛権。もう一つは、重要事態影響法といいまして、これは
集団的自衛権ではないのです。結果としては、集団的自衛権の目的、機能を果たすためのも
のですが、そのものではない。
主にアメリカ軍の軍事活動を支援しに行く法律です。
この二本立てになっている。

重要事態影響法が問題で、いままであったアメリカ軍の軍事活動と一体化しないための法
的な枠組みを取り払ってしまっている。
いままでは、後方地域、非戦闘地域、つまり活動期間を通して戦闘活動が行われることがな
い地域を指定して、そこでしか活動ができないのだとずっとしてきた。

物品および役務の提供には、武器弾薬を含まない。戦闘作戦行動のために発進準備中の航空
機に対する給油、整備もできる。という限定があったが、これを取り払っている。

すると、他国の軍事との一体化という問題が出てくる。
なぜ一体化してはいけないかというと、日本国の自衛隊が武力を行使できるのは、自国が急
迫不正の侵略を受けた時に限られる。それ以外の武力行使は憲法違反。
だから、集団的自衛権もできないし、海外での武力行使もできないといわれてきた。

この後方支援の枠組みも大きな意味で集団的自衛権のために構築されているもの。
憲法9条の理念を説く前に、損得として、日本の得になるのかと思います。
政策論として得になるのか。

PKO改正法→参加五原則は維持されるが、新たに業務として治安維持、駆け付け警護を加え
る。治安維持活動、駆け付け警護は自衛隊員にとって相当危険。

自衛隊法改正→米軍の武器を防護することを可能に。それまでは、自分のところの武器を防
護できるのでしたが、それをアメリカ軍に拡大する。法的にはかなり苦しい。


〈新安保法制の違憲性〉

先月申し上げた通り、新安保法制は違憲です。集団的自衛権が違憲ですから。

存立危機事態:@我が国と密接な関係にある他国に対する武力行使が発生し、
Aこれにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から
覆される明白な危険がある事態
Aの要件が限定になっている。結局は、自国が攻められたときなのだと言う。
だけど、政府はそう考えていない。Aにあたるかどうかの判断は内閣がする。
国会での議論をみる限り、ホルムズ海峡あるいは南シナ海での機雷除去であるとか安倍首
相は言っている。すでにAには限定にならないことが明らか。

機雷除去で行くというのは、集団的自衛権で行くということ。
議論があいまいになってきて、重要影響事態と存立危機事態があいまいになっていきてい
る。
重要影響事態から存立危機事態になって戦争になってしまうのではという危険がゼロでは
ない。
違憲ということを言い続けることが、反対派にとってはメリットがあるということを確認
したいと思う。


〈憲法の実質的変更〉

政府は、憲法の政府解釈は変えていないのだとしている。
将来安保法制ができて、10、20年後の人が見ておかしい、変わっていないわけはないと
言われることは確実。歴史的検証に堪えない。
憲法解釈を変更したことを認めることは、憲法を変えたことになる。
本来は国民に権限があるはずの憲法改正を政府が認めてしまうことになるので、彼らは、
憲法解釈を変えていないということは維持しなくてはならないこと。

憲法が実質的に変更されるかどうかは、新安保法制制定前の日本国と以降の日本国を比較
すればわかる。制定前は、自国が攻撃を受けない限り自衛隊の発動はできない。制定後は、
自国が攻撃を受けなくても、自衛権の発動ができる。
戦争法案は、レッテルはりだと彼らはいうが、憲法解釈の歴史からいえば、レッテルばりで
はなくて、自衛のための戦争を含めて一切の戦争はできないというのがポイント。
戦争だからできないというところに足を突っ込むようになる。

変わったとすれば、今までの政府解釈の中身が変わってしまった。
ここの議論をきちんとしないで衆議院で強行採決してしまった。
国民は手続き無視を許してはいけないと思っています。

だから砂川判決に頼ろうとする。
砂川判決は、集団的自衛権については合憲だと一言も言ってない。
アメリカ軍の駐留が一見明白には違憲でないと言っているだけ。
砂川判決には、公平だったか疑いがある。判決が出る前に、最高裁長官がアメリカに判決に
関する重要なことを伝えていたということが明らかになった。憲法を変えることができる
国民をとばして内閣がやってしまっている。


〈立憲主義と通常政治〉

立憲主義は、憲法と通常法の二段構造になっている。
国民主権というのは、憲法学では、憲法制定権力だといわれている。
国家権力は、憲法に拘束されるというのが、立憲主義のルール。権力が逸脱したときに止め
るのは、国民。最高裁判所が止めるという人がいるが、本来は正しくない。
もちろん最高裁がやるときもあるが、国民が問題視して社会の中でその意見が浸透してい
るときに、裁判官がそれを引き受ける。

憲法は国民のものです。
フランス人権宣言16条は、権利の保障が確保されず、権力の分立が定められていないすべ
ての社会は、憲法をもたないとしている。
人権保障と権力分立は国民一人ひとりの人権のため。国民の尊厳を守るような国家の仕組
みが憲法であり、その憲法を国民が支持する。支持しないと憲法も無くなり、国民の自由も
無くなることになる。

憲法という仕組みがうまくいっているところは、そんなに多くない。
非ヨーロッパ国で憲法の仕組みを実現したのは、戦後日本がはじめて。
その中核は、戦後日本がヨーロッパと違って平和だったということ。

問題は国民という概念。
国民とは何者か。それは、現在の有権者だけとは考えてはいけなくて、過去と未来の国民
を含む国民ということを想定しないと憲法の仕組みについては説明できない。
現在の有権者というのは、過去の国民と未来の国民を代表して日本という国家のあり方を
決定する。
人は入れ替わっているけれど、日本国憲法という枠組みはずっとつながっている。
この仕組みは権力者のためにあるのではなくて、簡単に言うと、国家は国民のために使われ
るもの。国家を維持するのは、権力者ではなく、国民。
私たちは、前の世代の憲法を受け取って、次の世代に受け渡していく。これをはっきりと言
ったのは、奥平康弘先生。「世代を超えた継承のプロジェクト」と言いました。

これは、憲法改正の限界論につながっていく。今の有権者は、どんな変更をしても良いとい
ことには、ならない。だから今回の法制は問題。実質的な憲法改正を政府がしてしまうこと
は。だから僕は、この安保法制が通ってもしばらく続くと思う。終わらないし、終われない。


〈憲法の拘束力〉

法になっていることは、全員の承認があったと仮定される。
『政治的に決着することを避けた方がよい事柄を「法」の領域に放逐』とあるが、これは、
人権や民主主義の枠組みは、憲法にしておく。そのときそのときの政治でかたをつけると大
変なことになる。
違憲だと言われたら、権力者は、違憲ではないということを説明しないといけない。

砂川事件の援用については、政府は合憲と言っているがこれは間違い。大事なことは違憲審
査を行う機関は国会だけではない。国会も違憲判断をしている。合憲性を説明しなくてはな
らない。

日本国憲法の本質は、人権と権力分立。
憲法の目的は、人権保障。権力分立は、人権保障のためのしくみが必要ということ。
議院内閣制を立憲主義から考えると、政府が国会を通じて国民に果たす説明責任だと考え
ている。
日本の立憲主義の面白いところは、憲法9条の規範を国会における議論を通じてつくりあ
げてきたということ。これが彼らの超えられない一線だった。
60年間、自衛隊の合憲性を説明する中で、政府が国民に説明してきた憲法解釈、これを簡
単に変えることはできない。
「自衛のための戦力はみとめられない」という守備一貫した理論がある。また、(国会で)
何回も積み重ねることによって、明確な憲法規範と化しているはず。

憲法学者の憲法審査会での発言以来、議論は、ようやく憲法を持つ国家にふさわしい方向
へ向かっている。
憲法学者が悪いように自民党としては思っているかもしれないが、そうではない。
今回の議論が盛り上がっているのは、国民がおかしいなと思っていたから。憲法学者は
そのきっかけだったに過ぎない。

憲法論議より政策論議が大事だという人はいる。ありうる議論。
安保法制に賛成する人はそういう。もしこの法案に疑問を持っているなら、乗ってはいけな
い。「憲法」という違憲であることを説明しなければならないという利点を自ら捨てること
になる。


〈憲法9条と戦後日本〉

憲法規範は、国民によるその規範に対する時代を超越した支持が前提。その国々の国民的体
験がベース。そういうものがないと、憲法はうまくいかない。
日本は、やっぱり9条。僕は、9条を無くしたら、自由も無くなると思っている。
国民のコミットメントがないと憲法は動いていかない。それがあることが今回証明された。

改憲はタブーか?権力者は9条を変えたい。しかし、国民が一番支持しているのが9条。
55年体制、60年安保闘争を通じて、自民党は憲法を改正すると言えなくなった。
従わざるを得ない。それで政権を維持する。
94年に小選挙区が導入された。2004年に改憲の動きがあったが、「9条の会」の運動
で潰された。

今回の安倍さんの解釈改憲は、明文改正ができないから、追い込まれてやっている。
先ほど言った、国民というものの歴史からすれば、憲法改正にNOという責任が国民にはあ
る。


〈世界の憲法と9条〉

日本の権力者の悩みは、他の立憲民主主義がやっていることができないこと。
しかし、国民からすれば、無用な戦争に巻き込まれないというふうに、ためになっている。

イラク戦争の衝撃。
米、英、仏も軍隊は自衛のためにある。しかし、それが権力者によって乱用されてしまう。
イラク戦争の反省は米、英は形だけ行っている。日本については、全くしていないと言って
いい。
日本国憲法は、実力の行使を真に自衛の場合に限定することに成功した。
これから先は、それをしなくなるということ。アメリカのように世界で戦争する国になると
いうこと。

安保法制は、アメリカと同等な立場に立ちたいという大国主義の野心。しかも、やっている
ことは、兵站活動で対等にはなれない。
不正義の戦争に手を貸すことになる。安倍首相は絶対にやらないと言っているけれど、法的
にはできるようになる。後の権力者が戦争に加担したときに、彼は責任をとれるわけはない。

〈兵士にならない権利〉
軍隊には兵士が必要。普通の国は徴兵制でまかなう。本当に戦争になれば、志願兵制ではす
まなくなる。日中戦争について考えることは、杞憂ではない。
他者(アメリカ軍、自衛隊)に守ってもらうというのは、都合のいい話。自分の国は自分で
守らなくてはいけない。
だから、徴兵制にならないというのは、無責任。
権力者が野心のために行う無用な戦争があることは、イラク戦争が示した。
そういう戦争に巻き込まれないために、9条が必要。

9条は隣国と仲良くすることを規範として権力者に要求している。自分たちで自分の国を
守らなくてはいけないこそ、9条が必要。無用な戦争をしないために。
大国主義者は、将来のビジョンを持っているとは思えない。